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英国人、「おもてなし至上主義」日本に違和感

面白い記事を見つけたので紹介します。
http://toyokeizai.net/articles/-/70079

デービッド・アトキンソン 小西美術工藝社社長

小西美術工藝社社長。元ゴールドマン・サックスアナリスト。裏千家茶名「宗真」拝受。
1965年、イギリス生まれ。オックスフォード大学「日本学」専攻。1992年にゴールドマンサックス入社。日本の不良債権の実態を暴くレポートを発表し、注目を集める。1998年に同社managing director(取締役)、2006年にpartner(共同出資者)となるが、マネーゲームを達観するに至り、2007年に退社。同社での活動中、1999年に裏千家に入門。日本の伝統文化に親しみ、2006年には茶名「宗真」を拝受する。2009年、創立300年余りの国宝・重要文化財の補修を手掛ける小西美術工藝社に入社、取締役に就任。2010年に代表取締役会長、2011年に同会長兼社長に就任し、日本の伝統文化を守りつつ、旧習の縮図である伝統文化財をめぐる行政や業界の改革への提言を続けている。著書にベストセラー『イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る』(講談社+α新書)などがある。


英国人、「おもてなし至上主義」日本に違和感
わざわざ海外に「もてなされ」に行きますか?

東洋経済オンラインをご覧のみなさま、こんにちは。デービッド・アトキンソンと申します。私は最近、さまざまなメディアからの取材を受けると、以下のように主張しています。

「日本の『おもてなし』は、外国人観光客にとっては、日本を訪れようと決める要因にはならない」「だから、日本の観光戦略の中心に『おもてなし』を据えるのは、やめたほうがいい」「『おもてなし』は日本人同士にとってはすばらしいことかもしれないが、外国人に対しては、ある程度、調整する必要がある」

こういったお話をすると、日本が誇る「おもてなし」を否定されたと感じ、反発を受けることが少なくありません。そこで今回は、私の「おもてなし」に関する考えを、書かせていただこうと思います。

「おもてなし」で観光立国?

今や、日本の観光政策を語る際に必ず出てくるのが、「おもてなし」という言葉です。観光庁は、「2020年オリンピック・パラリンピックに向けた地方の『おもてなし』向上事業」として、地方の先行的な取り組みを支援しています。「おもてなしで観光立国」という感じで、地方から政府まで、もはや「おもてなし」はスローガンのように用いられているという印象すら受けます。
しかし、「おもてなしで観光立国」なんてことが、本当に可能なのでしょうか? そんな疑問に答えるために、まずは「おもてなし」が十分な観光の動機になるのか、検証していきましょう。

外国人観光客が日本にやってくるには、大変な出費が必要です。時間もかかるので、会社も休まなくてはいけません。ここで、みなさん自身に置き換えてみてください。「おもてなし」だけにそのような対価を払うかといえば、ちょっと考え込んでしまうのではないでしょうか。

たとえば、気候が悪くて、歴史や文化にそれほど特徴もない、食事もそんなにおいしくない、外国人から見ると魅力の少ない国だけれど、国民だけは「おもてなし」をしてくれる。そんな国へ旅行してみたいと思いますか? それだけではなかなか、動機にならないはずです。

もちろん、気候もいい、歴史や文化もある、観光資源もたくさんある、さらに「おもてなし」を提供してくれるというような国であれば、「観光大国」になるかもしれません。しかし、この「おもてなし」というサービスが必須条件かというと、そうではありません。それを証明するのが、フランスです。

ホスピタリティがなくてもフランスは観光大国

フランスは約8470万人の外国人観光客が訪れる世界有数の観光大国ですが、「おもてなし」がすばらしいかというと、決してそのような評価ではありません。

フランス観光庁の観光戦略の中で、課題のひとつとして「ホスピタリティのなさ」が挙げられているように、むしろレベルが低いという印象で、中でもパリの人々の「おもてなし」が悪いという評判は、欧州でも非常に有名です。この事実が示すように、「おもてなし」というのは、観光大国の必須条件ではないようです。

また、諸外国の観光資料を分析すると、ほとんどの国がホスピタリティを自国の魅力として明記しています。これは冷静に考えれば当然で、外国人を呼ぼうというのだから、自国にホスピタリティがないなどと言うわけがなく、どの国もその国ならではの「おもてなし」が存在するとアピールするのは、当たり前なのです。

ただ、日本ほど、「おもてなし」を観光戦略の中心に据える国はありません。ほとんどの国は上から数えて半分以下、7つ魅力を並べたらせいぜい4番目か5番目という位置づけなのです。

さて、ここまでですでに、「おもてなしで観光立国」ということが、極めて難しいことに気づいていただけたのではないでしょうか。外国人観光客はあくまで、自然や文化、歴史などの、観光資源を楽しみにやってきます。「おもてなし」は「あったほうがいいけど、なくても致命的ではない」程度の特徴でしかないのです。

ですが、問題はそれだけではありません。実は、日本の「おもてなし」は、外国人観光客にとっては必ずしも「おもてなし」になっていない可能性があります。

「おもてなし」の2つの特徴

世界には242の国と地域があり、72億人もの人が生活しています。国ごとに、いえ、国の中でさえ、その価値観には違いがあります。そんな中で、日本人がよいと思う「おもてなし」が、世界中のすべての人に受け入れられ、評価されるでしょうか?

日本の「おもてなし」には特徴があります。その最たるものは、「無償」であること。米国のように、客に対してここまでやればこのくらいのチップを払ってもらえるのは当然だ、というような打算はありません。

さらに、客などに求められてやるというものではなく、あくまで「自主的に、自分の頭で考えて行う」というのも、特徴のひとつです。

こう言うと、日本人の方は、「やっぱり、日本の『おもてなし』はすばらしいじゃないか」と思われるかもしれません。ですが、文化や価値観、考え方の違いで、別の評価が下される可能性もあるのです。

まずは、「無償」ということを考えるために、チップという文化がない日本と、チップが当たり前の米国を比べてみましょう。チップも含めた米国のサービス価格と、日本のサービス価格が、ほぼ同じだと考えてみてください。たとえば、米国で食事30ドル、チップ5ドルのサービスは、日本では35ドルになります。チップが当たり前の国に住んでいる人なら、当然そう考えます。すると、チップの有無は、価格の構成比の違いになります。

米国では、客がサービスのよし悪しを判断してチップを支払います。これは、サービスが悪ければそれについての対価を払わないという拒否権を、客が持っていることになります。
一方の日本は、サービスの対価は価格に含まれていますので、客にはサービスのよし悪しを価格に反映させる権利がありません。文句を言ったり、2度と来店しない自由はありますが、価格を自主的に割り引く方法がないのです。これは、価値観の違う外国人からすると、いいサービスを前提とした性善説に基づいているように感じられるのです。

こんな中で、もしも米国人が「おもてなし」に不満を持ったら、どう思うでしょう? 「自分が満足していないサービスに、なんでおカネを払わなければならないんだ!」と感じても、不思議はないと思います。

「おもてなし」を評価しない外国人観光客

ただし、それよりも重要なのは、日本の「おもてなし」が、日本人同士のものとして成立している点です。日本人同士でしたら、価値観がある程度近いため、「自主的に、自分の頭で考えて行う」ことも可能でしょう。

ですが、先ほども申し上げたとおり、世界には242の国と地域があり、72億人もの人が生活しています。全員の求めるものを「自主的に、自分の頭で考える」ことなど、できるはずがありません。これは、日本人にはできないということではなく、どの国の人でも無理でしょう。

実際、訪日した外国人からは、よりレベルアップしてほしいというポイントも指摘されています。ですから、観光立国を考えるのであれば、部分的に外国人のニーズに合わせて、「おもてなし」を調整する必要があると感じています。

このように書くと、日本人の「おもてなし」の精神を否定するのかと不愉快になる方もいるかもしれませんが、そのような意図はいっさいありません。

私自身も十数年、茶道をたしなんできましたので、茶道における「おもてなし」とは何かということを自分なりに考えてきましたし、日本人の多くが持つ相手を慈しむ心や、優しさなどはよく理解しているつもりです。

そのような日本社会の中で、日本人同士で行われている「おもてなし」を否定するつもりは毛頭ありません。日本社会が長い歴史の中で積み上げてきたものですし、日本人がよいものだと思っているのなら、外国人である私が異を唱えるものでもないでしょう。

ただ、日本人同士がよいと思っていることを、外国人もよいと評価するとはかぎらないということを、指摘させていただいているだけです。「おもてなしで観光立国」と言うのなら、やはり、外国人に向けた調整は不可欠なのではないでしょうか。


観光客が喜び、地元も潤う観光・おもてなしとは何か、考えさせられます。

comment

Secre

No title

これは、私も共感する部分があります。
といいますのは、最近何かと表示の多言語化を推し進める感がありますよね。
道路での表示や看板など・・・
新聞や人の会話の中にもそれらを「何とかしなければ」という焦りのようなものを感じるときがあります。

私は、そうかな?と思うときがあります。
3年前に年老いた母を連れてフランスに行ったとき、パリって国際的観光都市の割に英語表記さえ少なくて・・・。
結構苦労しました。
さすがにルーブル美術館のようなところには日本語表記のあれやこれやがあって助かったといえば助かりましたが。
逆に色々と日本語表記で便利すぎると「折角の海外旅行なのになんかニセモノ感が漂ってしまう・・・」と感じたりしました。
フランスはこの高飛車な感じがいいように思いました。
そもそもフランスには美しいもの、おいしいものが沢山あるからフランスに行くんですよね。
どうです?

むしろローマ字表記の統一を国を挙げてできないものでしょうか・・・。

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