さんごのわらじ屋

はりまや橋 アナザーストーリー

最近、脚光を浴びつつある、はりまや橋界隈ですが、今回は「さんごのわらじ屋」さんともう一つのはりまや橋のお話です。(場所は、西鉄インのすぐ北側にあり、はりまやばしのたもとにあるお店です。)

1.さんごのわらじ屋

さんごや

今日、お邪魔しまして、ご主人にお話しをお聞きしました。

創業文化5年(1808年)で丁度210年前になります。この年は、長崎でフェートン号事件が起こりました。

竹林寺の坊さんがかんざしを買ったのは、橘屋(現国吉酒店)ですが、丁度はりまや橋に対して、東が橘屋、西がわらじ屋だったそうです。

江戸時代は、ともに小間物屋として、武士の刀のつばや、キセルなど様々な小物を扱っていたそうです。

また、明治になると、店の隣に土俵を作り相撲を行っていたそうです。

また、板垣退助もひいきにしてくれ、高知に帰った際は必ず立ち寄ってくれたそうです。


2.はりまや橋アナザーストーリー

儒学者の谷時中(1599-1649)は、元瀬戸村の真常寺の住職でしたが、還俗し、民間で学問をひろめました。

この時代、播磨屋宗徳などの大商人が財を成し、世間が物質経済を求める中、精神面の必要性を感じ、自らの美田24町歩余りを播磨屋宗徳に売りました。

その金額が銀16貫目(約100両 現在の価値では、数千万円?)

その、お金の受け渡しをはりまや橋の上で行い、当時このような大金を見たことが無く、はりまや橋は黒山の人だかりとなったそうです。

谷時中はそのお金で、書物などを買うとともに、息子一斎の江戸遊学の費用にあてました。

一斎は、学業を大成し、江戸で著名な儒学者となり、父の付託に報いたそうです。

谷時中曰く

「富貴は志を失う。数百石の田園も子孫に残すところにあらず。

聖賢の書を読み道義を購明し、之を子孫後世に伝ふべきである。」

富貴とは全く縁のない M井

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Secre

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以前、外国の方を案内した折、このお店に立ち寄ったことがあります。このお店の歴史を知っていたら、もっといろいろアピールできたのになあ。


掘り起こしたらお宝いっぱい出てくる土佐の街
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