浦戸湾アラカルト

「浦戸湾アラカルト(浦戸湾クルーズ研修によせて)」

山滴る夏、間近となってまいりました。
梅雨明け頃から、8月頃に、ヤングボーイのM君、I野君、ちょっとだけ、お姉さんのI川さんが幹事となって浦戸湾クルーズ研修が予定されています。

少しだけ、浦戸湾についての歴史・文化をご紹介させていただきます。

1. 玉島・・・奈良時代の中央政府が編集した「風土記」によると、海洋伝説の女王的存在であった神功皇后が来高された折、湾内の小島の磯辺で休息し、海中で光り輝く石を見つけられました。
       「これは海神の賜りものの白真珠なり」と、喜ばれ拾い上げられ、この島を玉島と名付けられました。玉島には玉島神社があり、海の三女神と神功皇后が祭神として祀られています。

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2. 四国の覇者となった、長宗我部元親が浦戸に居城をかまえたのは、海上交通の重要性を認識したためです。種崎地区に「元親波止」といわれる防波堤を築造し、造船所を設け、海運に力を注ぎました。
  また、天正19年(1591年)には、元親が浦戸湾内で捕獲した、鯨(全長16メートル)をいきたままの状態で、水軍を動員し、秀吉に献上し大阪の人々を驚かせたと「土佐物語」で伝えています。

3. 幕末になると、山内容堂は、安政2年(1855)に西洋式模型蒸気船の製造を命じ湾内で試運転をおこないました。
湾内の北部にある九反田(現東九反田公園)に開成館を建設し、軍艦局を創設し、洋式蒸気船を5隻購入し、航海術などの教育を行いました。
また、ジョン万次郎もここで、英語、航海術、測量術、西洋式捕鯨術などの教鞭をとりました。

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↑開成門(高知市城北町)

 4.明治4年には、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允の維新の三傑が来高し、板垣退助らと会談し、廃藩置県などの明治政府の大きな政策について話し合われました。
   東九反田公園には、写真の通り、西郷、木戸、板垣の三傑会談の碑があります。(何故か、維新の3傑の大久保利通の代わりに板垣退助が入っていますが、土佐から見た維新の三傑かもしれませんね。)
   ちなみに、現在、小津高校の正門近くにある、開成門はここから移築されたものです。

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 5.最後の写真の、鏡川河口にある、丸山台の島には、料亭があり、自由民権運動家がよく利用したそうです。 
明治16年に、ヨーロッパ視察を終え帰高した、板垣退助を迎えるため、3000人余りの党員・県民が歓迎船百数十隻で迎えたそうです。

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 6 土佐の伝統文化として有名な、「箸拳」も、もとは、薩摩の船頭達が行う、「なんこ遊び」を見て発展させたそうです。黒潮のつながりを感じます。

by M井

comment

Secre

No title

ohー
またまた物知り博士city boy Mさんからのレポート第2弾!

クルーズ船のお客さんにもこのような土佐物語を知っていただけたらきっと浦戸湾から土佐に近づくにつれて、興味がふつふつと湧き上がってくることでしょう。

私たちにとってもinteresting story.この浦戸湾クルーズ研修は、nice viewと共に土佐の知られざるふかーい歴史などに触れるいい機会となりそうですね。
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