ライオン宰相 浜口雄幸


毎週、楽しみに見ている番組に、NHKBSで木曜日の8時から放送されている、磯田道史先生司会の「英雄たちの選択」があります。

その番組帯で昭和の選択「ライオン宰相が夢見た平和~軍縮に挑んだ男 浜口雄幸」が先月放送されました。(再再放送)
五台山に銅像があるのと、昔、城山三郎の「男子の本懐」は読みましたが、あまり記憶に残っていませんでした。
今回、その放送を見、改めてその偉大さを感じました。

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再度、「男子の本懐」を読み返し、自宅近くにありながら訪れることのなかった、生家をゴールデンウィーク中に訪れました。
五台山の南にある小高い山のふもとに、ひっそりと「高知市浜口雄幸先生生家記念館」としてありました。
浜口雄幸先生はここで18歳まで過ごされ(明治3年~21年)、旧制高知中学校(現追手前高校)へ往復16キロを歩いて通学されました。

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私が訪れた時は、ゴールデンウィークとは無縁で誰もおらず、それだけにそっくり残されている、勉強部屋やお蔵、母屋と彼を見守った楓の老木が、過去へいざなってくれるように思えました。
母屋の縁側に座ると、春の薫風と山里の樹々に包まれ、心地よいひと時が過ごせました。

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浜口先生は、その後、京都の旧制第三高等学校を経て、東京帝国大学を成績2番で卒業され、大蔵省へ入省されました。
大正2年44歳で逓信次官を辞任され、46歳で高知から出馬され、政界入りしました。
55歳で大蔵大臣となり、昭和2年58歳で立憲民政党を結成し、総裁となり、昭和4年60歳で内閣総理大臣に就任されましたが、翌年東京駅で銃弾に倒れ、それにより、その翌年亡くなられました。

就任の年には、世界恐慌の波が、関東大震災から立ち直りかけた日本に襲い掛かってきました。その際、井上準之助大蔵大臣(日銀総裁や横浜正金銀行頭取を歴任)とともに、未曾有の金融危機を金本位制導入により、見事に乗りきりました。(これにより、ハイパーインフレが抑制されたと考えます。)

また、軍部からの軍拡への強硬な圧力をはねつけ、ロンドン軍縮条約の締結を成功させ、国際協調の道を日本にもたらしました。
戦前最後の民主国家としての宰相と考えます。
それが証拠に、浜口先生及び井上先生も銃弾で亡くなるや否や、軍部は満州事変を起こし、日本を戦争へ突き進ませました。

わずか、2年弱の短い任期でしたが、命を賭して、シビリアンコントロールにより民主主義を貫いた先生の勇気を思うと、先生が生きていれば、きっと、日本は破滅に向かうことはなかったのではという思いが強くなってきました。

M井

comment

Secre

No title

oh,浜口雄幸を三井さんといい、田中さん、ありがとうございます。

五台山への坂道に浜口雄幸の生家の標識が出ているのにもかかわらず、疎かった自分としては反省の限りです。

勉強会のプレゼンでも、三井さんが世界の片隅で活躍した日本人を紹介してくれる中で、世間一般の見方でなく、その人物の知られざるstoryなどを織り込んで伝えてくれるのでそこがおもしろく、また感銘を覚えています。

浜口雄幸の次回のプレゼンを楽しみにしています。

No title

M井さん!よくぞ取り上げてくださいました。

高知に来たとき、色々意外で驚いたことがあります。
その一つが、浜口雄幸って、高知県の人にあまり知られていないことです。

ライオン宰相 濱口雄幸1870-1931 第27代内閣総理大臣
生家の高知市五台山地域のあたりは、唐谷(からたに)と呼ばれた地区だそうです。

私も子供の保育園に行く通り道にある看板が気になっており、10年くらい前に意を決して行ってみました。その時のメモを再度紐解いてみます。

リーフレットによると、後年雄幸は、この唐谷をもじって空谷と書き、「くうこく」と号していたそうです。
昭和5年11月、東京駅で凶弾に見舞われたとき、彼はこれが最期と日頃愛唱していた『碧巌録』(仏教本らしい)の一説を口ずさみ、「男子の本懐だ」と漏らしたそうです。

-----今となっては有名なこの言葉は、翌朝の新聞にも掲載され、一躍流行語になったらしい。
その事件から5ヶ月後に亡くなりました。

禅の世界に精神的な理想を求めた男子だったんだろうな。と、その人物を想像しました。

濱口雄幸はこの地で水口家の三男として生まれたそうです。長男とは16才、次男とは8才も年が離れており、もっぱら一人で自然を相手に遊ぶか、本を読んで過ごすようになったそうです。

20才くらいの頃、田野町の濱口家の養子となり、娘の夏と結婚します。(田野町にも濱口雄幸旧邸があり、田野町教育委員会が管理しているみたい。)
それまでの少年時代をこの唐谷で過ごした事になります。

五台山の生家は、久しく誰も住んでおらず、廃墟と化していましたが、平成4年に有志により「補修復元する会」が発足されました。ちょうど時代の雄幸への再評価などと相まって、一年間で約3,500万円以上の浄財が集まり、平成6年に開館したそうです。

追手前高校の文化祭(9月の初めの土日)では校内見学ツアーという催しがあり、参加すると校長室にある浜口先生の書が見られます。
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